日曜日, 5月 28, 2006

映画「ナイロビの蜂」と雑誌「THE BIG ISSUE」


2006年5月24日

 この日曜日に映画「ナイロビの蜂」を観る。最近映画はいろいろな割引があって、ぼくの場合「夫婦50割引」というのをよく利用する。この割引を利用するべく、50歳より少しお若いお姉さまたちからお誘いがかかるからである。カップルのどちらかが50才以上であれば、ひとり1000円で入場できる。チケットを買うときにどちらかが50才以上の年齢を証明できるものを持っていれば、結婚届のコピーのようなものは要らないから、本当に夫婦でなくてもよろしい。姉妹・恋人・秘匿したい愛人など誰でも良い。そんなこんなの割引利用で映画を見る機会が多くなった。

  この映画「ナイロビの蜂」はブラジル人監督のフェルナンド=メイレレスがジョン=ル・カレの同名の原作(原題はThe Constant Gardener)を映画化したもので、イギリスの外交官の妻がケニアの政府とヨーロッパ資本の製薬会社の癒着・利権に気づき、そのレポートをヨーロッパのNGOに送ろうとして、殺害される。製薬会社は現地の貧困層の人々に医療支援という名のもとに、結核やHIVの薬品を治験というより人体実験に近いものをやっている。治験なのだから合法なのだが、ヨーロッパの基準では治験を許可されるような段階に至らない薬品を、ハードルの低いアフリカで治験を行うのである。現地の政府もこの人体実験に協力し、利権に群がる。不審に思った夫は真実を突き止めるが、彼もまた妻と同じ場所で、同じように殺害される。ただ夫のほうは殺害のまえに、レポートをロンドンに居る知人に送っている。

この映画を見ているうちに、最近読んだ「THE BIG ISSUE」(49号)の記事を思い出した。この雑誌は書店では販売されていない。ホームレス自立支援の目的で出版されている雑誌で、ホームレスの人々が自ら街頭で販売している。200円である。イギリスで創刊されたのだが、いまは日本語版が独自に編集出版されているが、イギリスで採用された記事も翻訳掲載されていて、日本のマスコミとは記事の切り口が違うので、読んでみるとけっこうおもしろい。博愛精神というようないかがわしい動機ではなく、ぜひ一見されることをお勧めします。     

ところでこの号の中で、アフリカ大陸南部のボツアナ共和国政府が、先住のブッシュマンを彼らの居住区から強制退去さているということが報告されている。カラハリ砂漠に何万年も前から居住するブッシュマンの人々を「近代化させる」という名目で、保護区から強制退去させるというのである。ブッシュマンの居住区の地下には金やダイアモンドの鉱床が眠っている推測されている。南アフリカ・アメリカ資本のデビアズという宝石流通会社がボツアナ政府(こちらも植民地独立で生まれた黒人政府である)と利権を共有しているために起こっている「事件」である。こういう図式はいまもアフリカ大陸のあちこちに見られるようである。このような事象がいまだに綿々と続いているのを見聞きするたびに、アフリカ大陸ではまだまだ植民地状態から脱していないということに気がつく。

「ナイロビの蜂」はいい映画だと思う。アフリカの自然風景の映像、スラム街の映像もいい。この映画には公式の日本語のホームページがある。www.nairobi.jp/映画を見た数日後にこのウェブサイトを見つけ覗いてみた。映画会社はこの映画をラブストーリとして宣伝しているようである。せっかくの映画をこんな切り口の宣伝で売り出してよいものであろうか。

実は、いま人気沸騰中の「ダ・ヴィンチ コード」のチケット売り場での行列を横目に見て、この「ナイロビの蜂」を観るキッカケになったのは、これまた「THE BIG ISSUE」の50号の記事なのである。

この号の最初のほうに「ナイロビの蜂」で外交官の妻役で助演しているレイチェル=ワイズのインタビューがある。
まずインタビュアーが
《「ナイロビの蜂」で描かれている社会的良心はすばらしかった(中略)政治と企業との癒着、先進国による発展途上国の搾取に世間の関心を向けさせるための映画として成功している》
という感想に対して、レイチェル=ワイズは
《その意見は非常に危険だと思う。・・・もともと娯楽作品を、サスペンスとして書かれたもので、期せずして、激しい情熱や愛情、社会的良心について描かれているだけなの》
と答えている。
インタビュアーは、ワイズが苛立っていて、居心地悪そうにしていたと書いている。「それは隣室に居る他の人間がこのインタビュに耳を傾けていたからにちがいない。政治の話をするのが好きな映画会社や俳優はめったにいない。そのことによって、興行成績がさがったりキャリアに傷がついたりするのを恐れる」
レイチェル=ワイズはいう
《業界自体が政治にかかわる余裕がないの。映画界は政治にかかわることを怖がってる。誰もがびくびくしているわ。》

つづく「THE BIG ISSUE」のこの記事には、原作者ル・カレのロイター通信でのインタビューを引用している。
《この映画はフィクションではあるけれども、一歩踏み込んで、人間の行いの最も暗い部分までしっかり描き出しているんだ。愛国者としての私たちの義務は、そこまで深く入り込み、メディアで伝えられていないギャップを埋めることにあると思うからね》

日本のメディアはアフリカというと、象やライオンなどの動物が住むサバンナの風景を映し出すことがほとんどである。ぼくもこういう映像を見るのは好きであるが、アフリカの人間の現実はずいぶん違うところにある。これも政治にかかわることを報道するのが怖いのか、遠い世界の向こうのことで報道価値がないのか。サッカーワールドカップのドイツ大会の四年後は、ボツアナの隣りの南アフリカで開催される。

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最近見たほかの映画  『間宮兄弟』  森田芳光 脚本・監督 @京都シネマ 原作 江國香織

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半夏生

2003年7月1日





 
  
 半夏生ちょうど去年の今ごろのことだった。西陣の呉服屋さんのお宅にパソコンのサポートに伺ったある日、玄関に入ると、一枚だけ白い葉で、白く細い組み紐のような花をつけた植物が細い花瓶に活けられていた。ご主人に植物の名前を聞くと、「はんげしょう」という茶花であるという説明。なるほど葉の一部がおしろいを塗ったようで、妙になまめかしい姿だ   が、名前も負けず劣らず「半化粧」となまめかしい。

    半夏生子の用ゆえにみだしなみ  神村睦代

 自分で俳句を読むわけではないが、人の作った俳句を鑑賞するのは好きで、ひと月ほど前、俳句の歳時記のサイトを見ていたら、夏の季語の中に「半夏生」ということばがあるのを見つけた。このことばには植物名としての「半化粧」(片白草)と梅雨明け前の一時期の季節を指す意味との両方があるらしい。 インドでは毎年雨期にあたる4月から7月(旧暦だと思う)の約100日間、布施行や托鉢ができないために、仏僧たちは一箇所に定住して学問修行に励んでいた。日本でもその風習が伝わり、7世紀のおわりごろから鎮護国家の行事として、十五大寺で毎年旧暦の4月16日から7月15日までの90日間、仁王般若経、最勝王経の講義をするようになった。この修業を「夏安居」(げあんこ)という。 その夏安居の中間点あたり、ちょうど梅雨明けのころに「半夏生ず」ということになる。この日は太陽の黄経が 100 度になり,夏至から 11 日目(今年は7月1日)」にあたる。こういう由来で「半夏生」という雑候ができたのではないかということだ。いまでは二十四節気をさらに細かく分けた七十二候のひとつに数えられている。以前にはこの日、夏経という経を寺で読んだり、虫送りの行事を行うところも多くみられたそうだ。

    雲水の銀座ぬ佇てり半夏生  鈴木真砂女 (出展「都鳥」)

 「半夏」ということばにももうひとつの意味がある。半夏またの名を「からすびしゃく」というサトイモ科の毒草があって、夏安居の半ば、「半夏」生ずところに花咲くのである。 ややこしい話だが、「半夏生・半化粧」はドクダミ科の植物であるし、「半夏」とは似ても似つかぬ別の植物である。
 このころには天から毒気が降り、地には毒草が生じるという、すこし背筋が寒くなるような、おぞましい言い伝えがある。そのため井戸に蓋をし、この日とった野菜は食せず、竹林には入らず、種をまくことを忌む風習があった。この地に生じる毒草のひとつが「半夏・からすびしゃく」ということになるのだろうか?いやいや「半夏」という毒草が生じるころなので、「半夏生」という雑候ができたという説明もある。そしてわが艶やかな「半化粧」もこのころ花をつけるのである。
「半夏・からすびしゃく」は毒草ということだが、この植物の球茎は漢方薬として利用されている。半夏瀉心湯、抑肝散加陳皮半夏、半夏厚朴湯などいずれも神経の高ぶりをおさえたり、消化器官の働きを助けなど、現代人に役に立ちそうな効能があるそうだ。

        薄墨の滲む速さや半夏生      石 田 文子

 半夏生に関しては、いろいろな風習が残っているようである。天から毒、地から毒草。そこで元気をつけるためというわけだろうか、この「半夏生」のころには旬の蛸を食べるという風習を持つところがある。蛸が足の吸盤で吸い付くように、稲が地にしっかりと根付くようにと願いをこめという意味合いもあるようだ。こういうこともインターネットで調べているうちに、派生的に出てくる情報だ。主に関西に残る習慣らしいが、わたしは生まれてからずうっと関西圏で生息しているにもかかわらず、この年になるまでこんな風習は知らなかった。岡山県の一部、大阪の泉南地方、京都北部の福知山周辺ではそのような風習が残っているらしい。同じ京都府北部でも舞鶴あたりではこのような風習はないということだ。
讃岐では半夏生の日にうどんをたべる習慣があるらしい。新麦の頃にあたるので、新しい麦で打つ打ちたてのうどんは、張りと風味があるだろう。レシピには土三寒六(夏は塩一に対し水三、冬は塩一に対し水六の割合)の塩加減で生地を練り上げ、ござをかぶせ、足で踏むと記されている。新麦はグルテン(植物性のタンパク質の一つ)がとりわけよく出て、コシのあるうどんに仕上がるとか。
 高知の香川県寄りの嶺北地方では、「はげだんご」というものを食べる習慣がある。半夏に欠かせぬ伝統の味ということだ。小麦粉に小豆あんをまぶしてつくるらしいが、小豆あんをまぶしても、つるつるして斑(まだら)になるため「はげだんご」と呼ばれたとか、「はんげだんご」がつづまったなど諸説ある。うどんとともに農家の食卓を彩った。 もぎたてのモモもこの日が食べ始め。収穫したばかりのソラマメでしょうゆ豆も作った。自然の恵みに感謝しながら、田植えで疲れた体を癒(いや)した。
 南河内では小麦もちのことを「さなぶり餅」というそうだ。ところによっては半夏生餅(はんげしょうもち)というところもある。田植えを終えた農家の人たちが無事農作業を終えた事を、田の神様に感謝して小麦のお餅を供え、また近所や知人・親戚に配ったということである。 半夏生の日を昔から農上がりの日と定め、いばらまんじゅうを御馳走として御先祖様にお供えしたり、田畑での作業を休んで骨休めをする習慣もある。このいばらまんじゅうはじゃがいもと小麦粉を材料とした皮であんこをくるみ、それをさらにいばらの葉でつつむというものだそうだ。三重の津のあたり風習である。
 京都でこのころ「水無月ういろう」を食べる風習があるの。この水無月の材料の主役も小麦と小豆である。京都では水にあたらないようにということでこの風習があるが、前述の天から毒気が降り、井戸にふたをするといういい伝えと深く結びついていそうだ。


 半夏生の日は農家にとっては大事な節目の日でもあり、地方によっては、この日の天候によってその年の稲の豊凶を占う日でもあった。またこの日雨が降ると、必ず大雨になるとも伝えられ、この季節に降る豪雨のことを「半夏雨」という。これも季語になっているようだ。 「半夏半作」といって、この日までに田植の仕事を完了することとされている。これらの風習は農閑期の行事として、古くから農山村でのくらしの中に編みこまれていたのだろう。ちょうど梅雨もすぎ、田植仕事も一段落ついた農家にとって一息いれるのに、ほどよい時期でもあった。やがてくる極暑の時期の農作業、そして秋の農繁期へと、うち続く労働の日に備える、常民の知恵がこうした骨休めを目的とする半夏生の5日間を生みだしたものなのかも知れない。  節季や候は深く農作業と関係が有り、神事を生んでいる。福島では大きな祭りを行う神社があり、京都の上賀茂にも、半夏生に神事を行うがある。

 高知あたりでは半夏生のころ、地元のスーパーが「蛸を食べる日」とチラシでPRしているとう情報もある。もともと高知にはそのような習慣が無かったのに、その日に蛸を食べる人が増えてきているということだ。これに類するものに、京都近郊の久御山町に、町の商工会が作った特産品「半夏生(はげしょ)だんご」というものがある。「えんどう豆のあんこで仕上げた、こころくばりの郷土菓子」というふれこみである。「はげしょ」という発音は、関西風のユーモラスで柔らかな響きを感じられて好きだけれど、わたしは甘いものが苦手なので試して見ようとは思わない。このあたりの話になると、節分の巻き寿司と同様に、うらに商魂が見え隠れする。それを嫌がるか楽しむかは消費者の側のセンスと判断だ。

         迷い路のとある垣穂や半夏生   石塚友二