月曜日, 8月 04, 2008

IMさんへのメール

こんばんは。
赤塚不二夫が亡くなったり、ソジェニーツィンが亡くなったり、先般は、小田実がいっちゃったり、どんどん時代が過ぎてゆくのに、わが身ときたらこの暑さの中で停滞したきりです。ここらで、ちょっと元気出さなくては!

ところで、朝日新聞の「天声人語」をネットでも読めるのはご存知ですか?
http://www.asahi.com/paper/column.html

わたしは岩倉に引っ越して一人暮らしを始めてから、新聞というものをとっていないので、だいたい、朝か昼に入った食堂や喫茶店、夕方立ち寄った飲み屋なんかで新聞を読んでいるのですが、印象に残ったコラムを、家に帰っても一度ネットで読み直し保存するようにしています。

今週は8月1日の天声人語が、心に止まりました。鶴彬という戦前の反戦川柳作家の話です。

2年ほど前、田辺聖子の作品で、大阪の岸本水府という川柳作家の評伝小説、「道頓堀の雨にわかれて以来なり」というのを読みましたが、そのときに少し鶴彬のことが少し書かれていて、名前と1つ2つ川柳を覚えていました。

天声人語によると、鶴彬の評伝が映画化されるようです。最近若い人が、小林多喜二の「蟹工船」読んでいるらしい。本屋さんに行くと「蟹工船」の特別コーナーがあるのです。世の中迷走しだしたのでしょうか?それとも、ぼくが老いぼれて重心が狂いだしたのでしょうか???

そのくせ村上春樹もとても気になる・・・

火曜日, 9月 25, 2007

「けふは仲秋の名月 初恋を偲ぶ夜・・・・」

井伏鱒二の荻窪風土記みたいに茹でたての枝豆で一杯やりますかな。天候は如何かな?無事初恋を偲ぶことができますか。

中野信夫さんの白寿記念絵画展、好評のうちに無事終わりました。案内状、ポスター、来場記念絵葉書、等等準備に奔走しました。いろいろみっともないこともありましたが、これも愛嬌。素人が集まった企画の割には大過なく終えたように思います。大勢の人に来ていただきました。ありがとうございました。

木曜日, 8月 30, 2007

Fくんへの手紙

 ふつう京都の夏は祇園祭ではじまり、送り火で終わるというけれど、ことしは特に残暑が長く厳しくて、気分はだいぶ秋色にもかかわらず、まだ夏が終わらない感じやね。

 いつもながら、あっという間の酒宴だったね。もう少しゆっくり話したかったなぁ。といって、とくに話すこともないんやけど。ごちそうはもう少し欲しいというところが丁度ってことかな。ま、どちらも息災で何より!というところか。

 きみと飲んだ次の日からパソコンの調子が優れず、週を越すあたりにハードディスクがとうとう壊れ、あわてて中古のハードディスクを焼酎一本と交換で手に入れたが、2日間動いて、これがまた修復中にダウン。先週はヤッサモッサでかなり寝不足の1週間だった。年のせいか、これがまたキツくって、夏は終わるどころか、いまごろの夏バテ。

 そんなわけで、あの時読んでいた、堀江敏幸の「雪沼とその周辺」を昨日やっと読み終えた。

 きみの言うとおり「何も起こらない」物語だけど保坂和志と違って、読んだ後にとてもシックな独特の感慨の残る作品で、珍しい質の小説だった。短編をただ集めただけではなく、それぞれの作品が有機的につながっていて、造りもなかなか面白い。

 解説を池澤夏樹が書いている。かれも好きで比較的よく読んでいる作家。メルマガを配信してもらっている、不定期にエセーが送られてくるだけだけれど。もうアクセスしたことがあるかも知れないが。
池澤の web site
http://www.impala.jp/

 というわけでやっと一連のヤッサモッサも一段落したところで、いつもながらにお金が厳しい月末が、
もう今月も来てしまった。今日から村上龍の「半島を出よ」を読み始める。

 きのうの朝は、雨の止み間にジョギングに出かけたら、途中で土砂降りで、シャワーを浴びながら走っているようだった。この雨で少しは涼しくなるかな?

 では、また年明けに!

--------------------------------最近2・3ヶ月で読んだもの

北原亜以子 深川澪通り夜の明けるまで
辻原登 枯葉の中の青い炎
高樹のぶ子 水脈
小川洋子 ブラフマンの埋葬
伊集院静 受け月
嵐山光三郎 芭蕉紀行
浅田次郎 椿山課長の七日間
柳美里 八月の果てに
絲山秋子 海の仙人

金曜日, 8月 03, 2007

SさんとIさんへのメール

9条の会呼びかけ人のひとり 、小田実さんが亡くなりましたね。吉岡忍さんが新聞に、小田さんの思い出を書き、参議院選の結果に関心を持つ気になれないほど気が重いということを書いていました。

民主党は大勝だったけれど、9条ネットは誰も当選できませんでしたね。

この春の統一地方選で2人の友人が民主党から京都市会議員に当選しました。2人とも70年前後、小田実さんが呼びかけ人だった「京都べ平連」で中心的な役割をしていました。

民主党は、一応、党として改憲の方向を目指しているし、そうかといってまだスターリニズムの空気が残っていそうな共産党を応援する気にもなれないし、社民党は空回り気味で力が出ないようだし、ぼくも何だか戸惑いの重い気分で、月曜日の朝を迎えました。

9条を守ることで大同盟を組めないのはこの国の大きな不幸かもしれないと思ったりします。

選挙で過半数といっても、投票者の過半数だから、有権者の30%以下ということです。しかもそこには未成年者とか、外国籍の人とか入ってないんだから、この国に住む人全体からいえば、はっきり意思表示できたのは2割そこそこということですよね。これで民主主義といっていいのかな?

もっとも多数の選択がいつも正しいとは限らない。完全な多数決の選択よりも、一人の天才の判断のほうが良かったという場合だってありうる。とくに構成する人口が多ければ多いほど、健全な民主主義は機能しにくくなるのかな?「結果ではなくて、プロセスが大事なんや!」
っていう人もいますが。

ドイツのヒトラーみたいのは御免ですが、国が拡がり人が急速に増えたローマで、カエサルのような人が現れたのは、当時のローマとしては必然であり、ローマ人の正しい選択であったかもしない。

このくそ暑いのに、ぼくの脳みそはこんな取り止めもないことを考えておるようです。
老人性うつ病にならないように気をつけなくては・・・!

土曜日, 5月 12, 2007







土曜日は午前中大原野で仕事があって、午後時間ができたので花の寺と大原野神社へいってみました。洛西ニュータウンの団地を西へ出ると、急に田園風景が拡がって、団地の中の風景との落差にちょっと戸惑いを感じる。大原野神社の前で草餅を買う。餅の粘り具合とよもぎの香りがとてもほどよくて、ぼくは甘党ではないのだけれど気に入りました。おいしかった。いうまでもなく新緑が目に染み入るようで、大原野神社の池の杜若・菖蒲が美しく、いい目の保養ができた。かえり洛西ニュータウンからバスに乗ったのだけれど、ラクセーヌの東側とリーカーマウンテンの駐車場ではナンジャモンジャの花が満開でいい香りが漂っていた。

火曜日, 4月 10, 2007


「滋賀の大仏」の解説を見て北白川の入り口の石像も見に行くことにした。

今出川通銀閣寺交差点から西へ200m北側。

吉田神社北参道の向かい側にこの石像がある。

次は山中町にも・・・


こちらはその解説。
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子安観世音

ここは昔から白川の村の入り口に当たり、東は山を越えて近江に向かい、洛中へ斜めに荒神口に通じていた。また出町から百万遍をへて浄土寺へ向う細道との交差点でもあった。
この堂々たる鎌倉期の石仏は「拾遺都名所図会」にけ希代の大像として描かれている弥陀像であるが長い歳月の間にかなりの風化が見られる。古来子安観世音として町の人々の信仰があつく今も白川女は必ずここに花を供えて商いに出る。


行事 8月17日 盆供  

   11月17日 お火焚

日曜日, 4月 08, 2007






急に思い立って、実に約20年ぶり大津滋賀里の「志賀の大仏」見に行った。道が思い出せなくて、地元の人に尋ねてみたが、地元の人もご存知ないらしい。途中で道標が見つかりなんとか辿り着く。






京阪石坂線の滋賀里駅から比叡山方向に向かって急坂を登っていくと、古い家の立ち並ぶ集落があり、それを抜けると急に古道の空気が漂い始める。大仏も素朴で鄙びている。桜もきれいに風にそよいでいた。
久しぶりに森のスピリッツに出会い、元気をもらった。
以下「志賀の大仏」の解説
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石造阿弥陀如来坐像(滋賀の大仏)一軀《せきぞうあみだにょらいざぞう-しがのおおぼとけ》
高さ約3.5m、幅2.7mの花崗岩に、厚肉彫に彫出した高さ3.1mの阿弥陀世来坐像です。13世紀ごろにつくられたと考えられ上半身に彫刻の主力をおいたゆったりとした雰囲気のただよう石仏です。この石仏の横を通る道は、崇福寺跡から山中町を経て京都の北白川へ抜ける旧山中越(志賀の山越)で、大津側の入り口に位置するこの場所と、山中町西教寺門脇、京都の北白川に石仏があり、いづれも山中越を利用した旅人が道中の安全を祈願したともいわれています。現在、地元で「大仏講」がつくられ。大切のお守りされています。
(昭和63年11月11日)大津市教育委員会
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