日曜日, 5月 28, 2006
半夏生
2003年7月1日
半夏生ちょうど去年の今ごろのことだった。西陣の呉服屋さんのお宅にパソコンのサポートに伺ったある日、玄関に入ると、一枚だけ白い葉で、白く細い組み紐のような花をつけた植物が細い花瓶に活けられていた。ご主人に植物の名前を聞くと、「はんげしょう」という茶花であるという説明。なるほど葉の一部がおしろいを塗ったようで、妙になまめかしい姿だ が、名前も負けず劣らず「半化粧」となまめかしい。
半夏生子の用ゆえにみだしなみ 神村睦代
自分で俳句を読むわけではないが、人の作った俳句を鑑賞するのは好きで、ひと月ほど前、俳句の歳時記のサイトを見ていたら、夏の季語の中に「半夏生」ということばがあるのを見つけた。このことばには植物名としての「半化粧」(片白草)と梅雨明け前の一時期の季節を指す意味との両方があるらしい。 インドでは毎年雨期にあたる4月から7月(旧暦だと思う)の約100日間、布施行や托鉢ができないために、仏僧たちは一箇所に定住して学問修行に励んでいた。日本でもその風習が伝わり、7世紀のおわりごろから鎮護国家の行事として、十五大寺で毎年旧暦の4月16日から7月15日までの90日間、仁王般若経、最勝王経の講義をするようになった。この修業を「夏安居」(げあんこ)という。 その夏安居の中間点あたり、ちょうど梅雨明けのころに「半夏生ず」ということになる。この日は太陽の黄経が 100 度になり,夏至から 11 日目(今年は7月1日)」にあたる。こういう由来で「半夏生」という雑候ができたのではないかということだ。いまでは二十四節気をさらに細かく分けた七十二候のひとつに数えられている。以前にはこの日、夏経という経を寺で読んだり、虫送りの行事を行うところも多くみられたそうだ。
雲水の銀座ぬ佇てり半夏生 鈴木真砂女 (出展「都鳥」)
「半夏」ということばにももうひとつの意味がある。半夏またの名を「からすびしゃく」というサトイモ科の毒草があって、夏安居の半ば、「半夏」生ずところに花咲くのである。 ややこしい話だが、「半夏生・半化粧」はドクダミ科の植物であるし、「半夏」とは似ても似つかぬ別の植物である。
このころには天から毒気が降り、地には毒草が生じるという、すこし背筋が寒くなるような、おぞましい言い伝えがある。そのため井戸に蓋をし、この日とった野菜は食せず、竹林には入らず、種をまくことを忌む風習があった。この地に生じる毒草のひとつが「半夏・からすびしゃく」ということになるのだろうか?いやいや「半夏」という毒草が生じるころなので、「半夏生」という雑候ができたという説明もある。そしてわが艶やかな「半化粧」もこのころ花をつけるのである。
「半夏・からすびしゃく」は毒草ということだが、この植物の球茎は漢方薬として利用されている。半夏瀉心湯、抑肝散加陳皮半夏、半夏厚朴湯などいずれも神経の高ぶりをおさえたり、消化器官の働きを助けなど、現代人に役に立ちそうな効能があるそうだ。
薄墨の滲む速さや半夏生 石 田 文子
半夏生に関しては、いろいろな風習が残っているようである。天から毒、地から毒草。そこで元気をつけるためというわけだろうか、この「半夏生」のころには旬の蛸を食べるという風習を持つところがある。蛸が足の吸盤で吸い付くように、稲が地にしっかりと根付くようにと願いをこめという意味合いもあるようだ。こういうこともインターネットで調べているうちに、派生的に出てくる情報だ。主に関西に残る習慣らしいが、わたしは生まれてからずうっと関西圏で生息しているにもかかわらず、この年になるまでこんな風習は知らなかった。岡山県の一部、大阪の泉南地方、京都北部の福知山周辺ではそのような風習が残っているらしい。同じ京都府北部でも舞鶴あたりではこのような風習はないということだ。
讃岐では半夏生の日にうどんをたべる習慣があるらしい。新麦の頃にあたるので、新しい麦で打つ打ちたてのうどんは、張りと風味があるだろう。レシピには土三寒六(夏は塩一に対し水三、冬は塩一に対し水六の割合)の塩加減で生地を練り上げ、ござをかぶせ、足で踏むと記されている。新麦はグルテン(植物性のタンパク質の一つ)がとりわけよく出て、コシのあるうどんに仕上がるとか。
高知の香川県寄りの嶺北地方では、「はげだんご」というものを食べる習慣がある。半夏に欠かせぬ伝統の味ということだ。小麦粉に小豆あんをまぶしてつくるらしいが、小豆あんをまぶしても、つるつるして斑(まだら)になるため「はげだんご」と呼ばれたとか、「はんげだんご」がつづまったなど諸説ある。うどんとともに農家の食卓を彩った。 もぎたてのモモもこの日が食べ始め。収穫したばかりのソラマメでしょうゆ豆も作った。自然の恵みに感謝しながら、田植えで疲れた体を癒(いや)した。
南河内では小麦もちのことを「さなぶり餅」というそうだ。ところによっては半夏生餅(はんげしょうもち)というところもある。田植えを終えた農家の人たちが無事農作業を終えた事を、田の神様に感謝して小麦のお餅を供え、また近所や知人・親戚に配ったということである。 半夏生の日を昔から農上がりの日と定め、いばらまんじゅうを御馳走として御先祖様にお供えしたり、田畑での作業を休んで骨休めをする習慣もある。このいばらまんじゅうはじゃがいもと小麦粉を材料とした皮であんこをくるみ、それをさらにいばらの葉でつつむというものだそうだ。三重の津のあたり風習である。
京都でこのころ「水無月ういろう」を食べる風習があるの。この水無月の材料の主役も小麦と小豆である。京都では水にあたらないようにということでこの風習があるが、前述の天から毒気が降り、井戸にふたをするといういい伝えと深く結びついていそうだ。
半夏生の日は農家にとっては大事な節目の日でもあり、地方によっては、この日の天候によってその年の稲の豊凶を占う日でもあった。またこの日雨が降ると、必ず大雨になるとも伝えられ、この季節に降る豪雨のことを「半夏雨」という。これも季語になっているようだ。 「半夏半作」といって、この日までに田植の仕事を完了することとされている。これらの風習は農閑期の行事として、古くから農山村でのくらしの中に編みこまれていたのだろう。ちょうど梅雨もすぎ、田植仕事も一段落ついた農家にとって一息いれるのに、ほどよい時期でもあった。やがてくる極暑の時期の農作業、そして秋の農繁期へと、うち続く労働の日に備える、常民の知恵がこうした骨休めを目的とする半夏生の5日間を生みだしたものなのかも知れない。 節季や候は深く農作業と関係が有り、神事を生んでいる。福島では大きな祭りを行う神社があり、京都の上賀茂にも、半夏生に神事を行うがある。
高知あたりでは半夏生のころ、地元のスーパーが「蛸を食べる日」とチラシでPRしているとう情報もある。もともと高知にはそのような習慣が無かったのに、その日に蛸を食べる人が増えてきているということだ。これに類するものに、京都近郊の久御山町に、町の商工会が作った特産品「半夏生(はげしょ)だんご」というものがある。「えんどう豆のあんこで仕上げた、こころくばりの郷土菓子」というふれこみである。「はげしょ」という発音は、関西風のユーモラスで柔らかな響きを感じられて好きだけれど、わたしは甘いものが苦手なので試して見ようとは思わない。このあたりの話になると、節分の巻き寿司と同様に、うらに商魂が見え隠れする。それを嫌がるか楽しむかは消費者の側のセンスと判断だ。
迷い路のとある垣穂や半夏生 石塚友二
登録:
コメントの投稿 (Atom)
0 件のコメント:
コメントを投稿