急に思い立って、実に約20年ぶり大津滋賀里の「志賀の大仏」見に行った。道が思い出せなくて、地元の人に尋ねてみたが、地元の人もご存知ないらしい。途中で道標が見つかりなんとか辿り着く。
京阪石坂線の滋賀里駅から比叡山方向に向かって急坂を登っていくと、古い家の立ち並ぶ集落があり、それを抜けると急に古道の空気が漂い始める。大仏も素朴で鄙びている。桜もきれいに風にそよいでいた。
久しぶりに森のスピリッツに出会い、元気をもらった。
以下「志賀の大仏」の解説
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石造阿弥陀如来坐像(滋賀の大仏)一軀《せきぞうあみだにょらいざぞう-しがのおおぼとけ》
高さ約3.5m、幅2.7mの花崗岩に、厚肉彫に彫出した高さ3.1mの阿弥陀世来坐像です。13世紀ごろにつくられたと考えられ上半身に彫刻の主力をおいたゆったりとした雰囲気のただよう石仏です。この石仏の横を通る道は、崇福寺跡から山中町を経て京都の北白川へ抜ける旧山中越(志賀の山越)で、大津側の入り口に位置するこの場所と、山中町西教寺門脇、京都の北白川に石仏があり、いづれも山中越を利用した旅人が道中の安全を祈願したともいわれています。現在、地元で「大仏講」がつくられ。大切のお守りされています。
(昭和63年11月11日)大津市教育委員会
高さ約3.5m、幅2.7mの花崗岩に、厚肉彫に彫出した高さ3.1mの阿弥陀世来坐像です。13世紀ごろにつくられたと考えられ上半身に彫刻の主力をおいたゆったりとした雰囲気のただよう石仏です。この石仏の横を通る道は、崇福寺跡から山中町を経て京都の北白川へ抜ける旧山中越(志賀の山越)で、大津側の入り口に位置するこの場所と、山中町西教寺門脇、京都の北白川に石仏があり、いづれも山中越を利用した旅人が道中の安全を祈願したともいわれています。現在、地元で「大仏講」がつくられ。大切のお守りされています。
(昭和63年11月11日)大津市教育委員会
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